DiaryYumiko Sakuma

精神デトックスと自己肯定

DiaryYumiko Sakuma
精神デトックスと自己肯定

久しぶりにニューヨークで年越しをしたが、この正月感のなさといったらどうだ。大晦日は、開店20周年を迎えたウィリアムズバーグのDinerで新年の乾杯をし、元旦は大掃除をしたり、ついに日本に帰るヨガの先生ひこちゃんのお別れ会に顔を出したりして、2日になったら世の中は普通に始まっている。店も、学校も開いているし、裏の新築アパート建設現場なんてフル稼働である。ソーシャルで、初詣やおみくじのポストを見て、ああやっぱり日本にいればよかったかな、とか思ったり。

マイペースに生きる!と毎日思っているつもりでも、あれこれでよかったんだっけ、と思わせてしまうソーシャルの魔物。元旦が生理2日目という嫌なめぐり合わせも手伝って、年始の「今年改善したいところは何かを考える作業」をするはずが、気がつけば「自分は馬鹿なんじゃないだろうか」という自己嫌悪に陥ったりもして、こりゃあいかんと、1日、精神のディープクレンジングをした。自分はやれることをすべてやっているだろうか、ダメなところはないかという自分に対する疑いや、日々抱えている罪悪感、自分は何がしたいのかという迷い、ネガティブな感情がいろいろ噴出した。普段、こういう気持ちがもたげてくると蓋をしてしまう。そして自分は蓋をするのがうまい。が、それだけではダメなのだ。自分にそういうネガティブな気持ちがあると認めて、その気持ちに寄り添ったうえで、それを捨てる、ということをしないと、ネガティブな感情が溜まって膿になる。ディープクレンジング、成功したかはわからない。とりあえず、「明日はまた別の日だ」という気持ちにはなった。

最近、付き合いのある編集者が「日本人は自己肯定感が低いと言われています」と教えてくれた。探してみると、内閣府が出している調査に、そのデータがあった。そして、それについての分析記事も読んだ。

「日本人は、恥の文化(ルース・ベネディクトによる)とも言われるように、常に世間の目、他人の目によって自分の行動を決めるという精神性を脈々と受け継いでいるようです」

自己肯定感が低い=自己否定感が強い、ということなのだろうが、自分を否定するって辛いよねえ。そしてその積み重ねが精神を蝕み、ストレスとなって、健康にダメージを与えたりするのである。難しいのは、自己肯定だけしていると、だんだん自分が客観視できなくなったりするし、建設的な反省をできなくなるのではないかという恐怖感があるところである。が、自己嫌悪も、その大半が、刷り込みや人間の心理のメカニズムにあると思えば、少しは楽になる気がする。

備忘録:欠陥ビリーフと日本人(大塚あやこ)