DiaryYumiko Sakuma

#metoo はセクハラを超えた運動に進化しています

DiaryYumiko Sakuma
#metoo はセクハラを超えた運動に進化しています

今回の一連のトークの皮切りはWired Japanのリブート号出版を記念して、編集長の松島倫明さんと。コミュニティの話、ジェントリフィケーションの話、そして今回の号で取材したプラットフォーム・コーポラティヴィズムという新しい組織の概念についてなどなど、いろんな話をしたのだが、最後のほうに#metooの話題になった。松島さんが、MITメディア・ラボの所長であるジョーイこと伊藤穰一さんと話をしたときに、#metooのことを、フランス革命以来といっていいほどの文化的インパクトがあると言っていた、というエピソードを披露。私も「#metooのことを、単にセクハラの問題だと考えるのは間違いです」と話をした。

確かにスタートは、セクハラされた女性たちが立ち上がったことだった。けれど、その運動は、女性だけでなく、人種・セクシュアリティのマイノリティたちを巻き込んで、白人男性たちがルールを書いた社会で、スタート地点が後ろに引かれた人たち全般の扱いを是正しようというより大きな運動になっている。だからこそ、先の中間選挙で、マイノリティの女性たちが、ゲイを公言する候補やトランスジェンダー候補が躍進したのである。

過去のフェミニズム運動は、欧米の女性たちが牽引した(ホワイト・フェミニズム)一方で、マイノリティの女性たちやゲイやトランスジェンダーといったセクシャルマイノリティを巻き込めなかったという課題があった。#metoo運動は、その反省を生かして「intersectional(ジャンルを交差する)」反差別運動に成長しているのだ。「Intersectionality」という言葉、これからのアメリカ、そして次の選挙でよく聞かれる言葉になるはずです。

深夜、ゲイの友達としばらく歩いた。ゲイにだってマイノリティにだって、女性にだってヘイトに走る人たちがいる。その裏にあるのはきっと彼らそれぞれの心の傷だ。でもジャンルを超えた弱者たちがたばになり、さらにヘイトや差別をよしとしないマジョリティ(アメリカだったら白人男性たち、日本だったらノンケの男性たち)が参加してくれたら、社会はもっと優しい場所に進化できるのにねって。

備忘録:Intersectionalityという言葉の起源(Columbia Journalism Review)