続 古い友だち

ふる〜い友だちが気がついたら作家になっていて、12月に初めて二人でトークをした。川内有緒さん。蔡國強と彼の友人たちとの友情を描いた「空をゆく巨人」で開高健賞を受賞したばかりだ。

トークをしながらいろんなことを思い出し、二人で感極まりそうになった瞬間もあった。あっちゃんは、私が高校生のとき付き合っていたボーイフレンドの友達と付き合っていて、ひとつ年上の大学生だった。会った瞬間にごく自然に「ゆみ」と呼んだ。トークで当時の私を「セーラー服着た子犬みたいだった」と評していたが、それは、私がすぐあっちゃんになついたからだ。当時の私は、人というものがだいたい嫌いだったけれど、あっちゃんのことはすぐに好きになった。きっとそれは、あっちゃんには一匹狼的なムードが漂っていたからだと思う。群れない人だ、と思ったのだ。そして学校の外でできた年上の女友達の存在がうれしかった。

あっちゃんが先にアメリカにきて、そのあと私もアメリカに来た。その頃はよく遊んだ。何があったわけではないが、卒業して私はニューヨークに行き、なんとなく疎遠になった。お互い、生きること、生き残ることに必死だったのだと思う。

彼女の名前が変わっていたから、川内有緒さんがあっちゃんだということに、私は気が付かなかった。再会は、あっちゃんがTwitterで声をかけてくれたから実現した。トークのときに「しばらく迷っていた」と言っていた再会がいつも良い結果にならないこともあることを知っていたのだ。彼女が連絡するきっかけになったのは、私が植本一子さんの「家族最後の日」のことを書いたことだったという。それを見て、「わかりあえるかな」と思ってくれた。本のパワーってすごい。

トークのテーマには二人で「インディペンデントに生きる、インディペンデントに書く」に決めた。お互いにとって、できるだけ独立した存在でいることが重要だから、ピッタリなテーマだと思った。自分が大きな社会の歯車でしかないことは認めつつも、できるだけ自由でいたい。私にとって、インディペンデントであることは、人生の中で一番大切なことのひとつだ。ストレスをコントロールできるレベルの維持することも大切で、いかにストレスを持たずに、好きなことをやっていくかばかりを考えている。あっちゃんは、今、もうちょっと大きな戦いをやっている。そしてその姿に教えられている。

あっちゃんがこの日のトークのことを書いていた。

「一緒にいると、18歳で「クソガキ(by ゆみ)」だったあの頃と、物を書いて生きることになった現在とを自由にビューんと行き来できる。

そういう友達は後からは作れない。
あの時の出会いと再会に感謝を」

そういう友達は後からは作れない。これは本当だ。お互いが物書きになる未来なんてつゆほども想像しなかったクソガキ時代の自分たちを褒めてあげたいと思う。

ちなみにあっちゃんが書いているように、お昼ご飯に何を食べたいかを聞かれで「アイスクリーム」と答えたあの日から24年が経つが、おねえちゃんは今も私にご飯を食べさせ続けてくれ、ニューヨークの紀伊国屋に電話して、私たちの本を注文してくれたりしている。おねえちゃん、ありがとう。

備忘録:インディペンデントに生きるってなんだろう。 クソガキだったあの頃といま(Notes 川内有緒)