DiaryYumiko Sakuma

#metoo 時代の男子たち

DiaryYumiko Sakuma
#metoo 時代の男子たち

弟分ジョニーと山の家で週末を過ごした。何ヶ月かに一回、二人で旅をしたり、週末を一緒に過ごしたりする友人関係であるのだが、彼の存在は自分にとって、今のこの世の中が、30代の男子の目にどう見えているかのフィルターの一枚でもある。

しばらく前に、共通の知り合いのアジア人男子Jが、私に向かって「女は食事を奢ってもらったら男のいうことを聞くべき」的な発言をして、私の見えない刀でバサッと成敗されたことが話題になった。「こういうことをゆみのような女に言ってはいけない」とたしなめたというが、まったく腹の立つ出来事であった。

とはいえ、こういうミソジニーを信じていたり、口に出したりする言う男子はどうやって形成されるのだろうかと考えると怒ってばかりもいられれない。先日、ニューヨーク・タイムズのポッドキャストThe Daily(何度もしつこいですが、おすすめです)で、最高裁判事に指名された際に、過去の性的暴行”疑惑”が噴出したキャバノー判事と、被害者のフォード博士による公聴会といった一連の事象を、息子たちにどう説明するか、というテーマのもと、母親と少年たちの会話を取り上げたものがあった。母親と話をしたのは、13歳の少年二人と20歳の青年一人。フォード博士は信頼できる、キャバノーの守りは不自然だった、という意見もあれば、「有罪だと証明されたわけではない」という意見もあって、興味深かった。この中で、13歳の男のコが、別れたガールフレンドが「嫌なことをされた」と言って出て、彼女の友達も「私もされた」と参戦して、ひどい目にあった、という話をしていて、胸がきゅんとなった。#metoo以降の時代でひとつ強く感じるのは、女子たちは、性を人を傷つけるための武器にしてはいけない、ということだ。

最近の子供はそんなにエグいのか、と思いかけたけれど、私が中学生の頃、その手の悪意は確かにあった。人の運動靴に画鋲を入れたり、嘘の悪い噂を触れ回るようなタイプの悪意が。あの頃が一番、人間の残酷さを直接目の当たりにした頃のような気がする。大人になってからわかったのは、いじめっ子や問題児はだいたい心の叫びとして暴れるという手段に出る。必要なのは、相手にも自分と同じ感情があると考えることだ。

備忘録:#metoo 時代に息子をいい少年に育てる(The New York Times)