DiaryYumiko Sakuma

福岡から台北へ

DiaryYumiko Sakuma
福岡から台北へ

雨の福岡で起きた。Manu Coffeeで日記を書き、打ち合わせをひとつして、More Lightという世にも美しい店でビールをごちそうになり、伊藤総研夫妻+生まれたばかりの舟くんと合流して、福岡空港に連れて行ってもらった。

福岡空港の国際ターミナルはいろいろと突っ込みどころのある場所だった。菜食者が食べれるものはほとんどなく、旅に必要なものを買う場所はターミナルの外にしかなかった。優先レーンもなかった。

深夜の台北に到着して、タクシーに乗った。「マンダリン、話せる?」「ノー」というと「No problem. We speak English here」という答えが返ってきた。運転手さんは30代の男性。ニューヨークでドライバーをやっていたこともあるという。「ニューヨークの混雑はヒドいよね」というと「台北のほうがヒドいんだよ」という。クイーンズに住んでいたというので、ひとしきりクイーンズの話で盛り上がった。

どうして帰ってきたの?とたずねると「帰らなきゃいけなくなったんだ」とため息をついた。ビザの問題で帰ってきた、と言った。

アメリカでビザを維持するのは容易なことではない。離れたくないけれど、ビザが維持できなくて祖国に帰る、という人は少なくない。そして、不法滞在してまでもアメリカに残る人もいる。今、そういう人たちが、どんどん強制送還されている。ルールなのだからといえばそれまでであるし、今の国内の政治状況からは当然予想されていたことでもある。けれど長年、アメリカに住んできた人たちが追い出されるのを見るのはやっぱり心が痛む。

備忘録:「ミネソタは私のホームだ」。リベリア人、強制送還の締切に直面(MPR)