DiaryYumiko Sakuma

音は国境を超える・アジア人であること

DiaryYumiko Sakuma
音は国境を超える・アジア人であること

近所のブロックパーティにて朝からビールを呑み、ひとしきり仕事をして、近所のハコにtoeのショーを見に行った。toeのショーをニューヨークで見るのは3度目である。そのたびにスケールアップして、今回の会場は<warsaw>というデカ箱であった。toeのショーはいつも背の高い白人が圧倒的に多い。全体的に前回からやつらの背が伸びた気さえする。せっかく友達がブルックリンでやってるんだから前のほうで見たいよね、とジリジリ前進したけれど、途中でかなり男くさくなってきたのでちょっと退却したりして。

若者たちが「Sick」とか「Awesome」なんて呟くのを耳にしながら、友達のバンドがニューヨークのこんな大きなハコで演奏するのを見るってのはなかなかの体験である。近くの女の子がアンコールで涙を流していたよ。音楽は、人種や国境や言葉や文化の壁を超越する。再確認させてもらった。

先日、映像作家の砂入博史くんと、「やっぱりアジア人の男子って大変なんだよねえ」という話をしたことを引きずっている。そうなのだ、私はたどり着いたところがリベラルのバブルとゲトーのプログレ文化が混じったところだったから、一番多感の時期を無自覚に過ごしてしまった感があるのだが、今の「Crazy Rich Asians」の盛り上がりを見ても、アジア人としてこの国でやっていくということには、自分が考えてきた以上のスティグマがあるのだった。そしてそれはもちろん女性たちも。最近、女優のケリー・マリー・トランが書いたエッセイがそれを如実に物語っていた。

備忘録:オンライン・バラスメントには追いやられない(The New York Times)